聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日 聖コルベ神父様は1894年にポーランドで機織り職人の次男として生まれる。両親共に柔和で信心深く、聖コルベ神父様は幼少の頃から十字架と聖母像のある家庭祭壇の前にひざまずき、よく祈っていた。13歳で神学校に入学、16歳でコンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会、司祭を目指す。ローマの聖グレゴリアーナ大学に入学し3年で哲学博士、教皇庁立ボナベントゥラ神学大学に入学し3年で司祭叙階され、翌年に神学博士号を取得。留学中に親指が腐ってきたがルルドの水で奇跡的に治っている。 神父になる一年前に「聖母マリアを通して人々をキリストへ導き、最終的には自分の命を犠牲にするまでの愛」を目指し「無原罪の聖母の騎士信心会」設立、多くの職種の人が会員となる。ポーランドに帰国後、結核により片肺が機能しなくなったが、神学校で教えながら、聖母の騎士信心会の機関紙『無原罪の聖母の騎士』を創刊。読者層を広げ、出版使徒職を行う「汚れない聖母の園修道院」を設立、初代院長となる。 1930年4月にはゼノ神父らとながさきに上陸、1ヶ月後には『聖母の騎士』誌の日本語版を発刊、長崎に「無原罪の園修道院」を設立、6年間、出版と日本人会員の養成に努める。 ポーランド帰国後、聖母のための雑誌を発行し、ラジオ局も開設。また、1500人以上のユダヤ人避難民の世話も行う。やがてナチスのポーランド侵攻により多くの神父、修道者が収容所に移送され、聖コルベ神父様も、反ナチスの記事を訴えられ逮捕、アウシュビッツ収容所に送られた。 逃亡者が出たので、聖コルベ神父様の組は2日間絶食で中庭に立たされた。収容所々長は「この中から10人を餓死室に送る」と言い10名が指名された。その中の一人が「私の家内と子どもたちはどうなるんだ」と号泣する男に同情した聖コルベ神父様は「お願いです。私はカトリックの司祭で、独り者です。その人の身代わりとして私を餓死室へ送ってください」と所長に嘆願し餓死室へ送られた。2週間食べ物が与えられなかったが生きているので、注射によって毒殺。47歳だった。聖ヨハネ・パウロ2世は英雄的得と奇跡によって1982年に列聖した。 第一朗読 エゼキエル書 16:1-15, 60, 63 わたしがお前を装わせた装いには、少しも欠けるところがなかった。それなのにお前は姦淫を行った。 福音朗読 マタイ福音書 19:3-12 心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうであったわけではない。 いつも、ご視聴をありがとうございます。 また、チャンネル登録にも感謝しています。 #ミサ #カトリック #キリスト教