典礼に隠れている多くの宝物を

典礼に隠れている多くの宝物を

Frament神父よりの説教  2022年11月27日   Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて 聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン 親愛なる信徒の皆様、聖なる良き新年を!「しかし、神父さま、まだ新年ではないのですが」と。そうですね。今日は典礼歴の新年です。一月を最初にする民間歴の新年よりあまり知られていないかもしれませんが、典礼歴の新年の方が重要です。なぜなら、天国に行くための典礼だからです。 簡単に典礼についてちょっと復習したいと思います。我々カトリック信徒は一生、典礼の内に生きていくのに、これほど深く詳しくなくて、典礼に関する興味が少ないことが多いのは残念です。 ところで、公教会が典礼を強く深く勧めます。カトリック教会はキリストの新婦であり、我々の母なのです。公教会は同時にキリストの妻であり、我々の母なので、夫も子供も深くよく知っています。ですから、通年の典礼も天主のためにあり、我々のためにあるわけで、色、聖歌をはじめ、多くの様子が盛り込まれているのもたまたまではないのです。 通年の典礼に関して復習しましょう。 第一に、天主は五感をもって人間を造り給うたのです。ですから、公教会は典礼においてこの五感を満たして典礼ができています。 聴覚なら聖歌ですね。ここのSaint-Nicolas du Chardonnet教会の聖歌隊は立派であり、ビルコック神父とJean-Yvesブラザーの功労に感謝の意を表します。 これから、色も用意されています。待降節に入って、紫色となりました。それ偶然ではありません。紫色とは改悛の色であり、ご降誕すなわちクリスマスを準備するために、犠牲と祈りをするように促されるということです。 またお気づきだと思いますが、待降節の第一の主日、今日、「グロリア」の聖歌は省かれています。この歌は喜びの歌であり、喜びの時期に歌いますが、改悛の時期である待降節の間に歌わないことになります。いわゆるご降誕の大祝日の喜びを控えて、まだまだ来給うイエズスはこれからご降誕しますので、グロリアは省略されます。 また、公教会がなぜこのような豊かな典礼を望ましいことに思ったでしょうか。 我々人間は言葉よりも行いをもって習うところがあるという人間らしいあり方を教会はよく知っているからです。 ピオ十一世は王たるキリストの教義を広く普及させるために回勅にとどめないで、特別な祝日とそれに伴う典礼をつくりました。そして、このように、毎年、王たるキリストという重要な教義が繰り返されて、我々は毎年、簡単にかえりみます。 典礼は毎年、繰り返されるのも、そのためです。つまり天主をよりよく知り、重要なことのすべてをかえりみて、深めて、天国に行けるように万全を期して整備されている典礼なのです。 ご存じのように、典礼歴には二重の循環が重ねています。 聖人祝日の部と聖節の部から典礼歴はできています。 本日、待降節の始まりで、新しい聖節の新年がはじまります。聖人の祝日は節によって変わらずに固定されています。普通は殉教した日か、帰天した日か、聖遺物が移動された日が多いです。 例えば、11月30日、聖アンドレを祝いますが、聖人の部に属します。 大まかにいうと、イメージ的に、大体の場合、平日は聖人を祝い、日曜日は節に関する典礼となることが多いです。 もちろん大体ということで、場合によって例外があります。四旬節なら、毎日、特別に聖節のためにミサ聖祭と典礼があります。四旬節の間、聖人の祝日より必ず優先される四旬節のミサとなります。 しかし、四旬節を除いたら、大祝日を除いたら、平日なら聖人を祝い、日曜日なら聖節に関する典礼となります。 さて、聖節の部はなぜあるでしょうか。イエズス・キリストをより深く知るためです。イエズス・キリストを知るために二つの方法があります。イエズス・キリストの人生を知ることによって、イエズス・キリストの教えを知ることによって、イエズスをよりよく知るようになっていきます。 ですから、聖節の部は一年に三つの期間があります。第一と第二はイエズス・キリストの人生に関する典礼です。つまりクリスマスとご復活、つまり、ご降誕と御死・ご復活、つまりご托身とご贖罪という信仰の基盤をなす大玄義についてです。 それから、第三の期間は、聖霊降臨後の日曜日、イエズス・キリストの教え、御業と奇跡が教えられています。 そして、クリスマスのような大祝日はご托身という大玄義を祝うので、そのために心構えと準備がかなり必要となります。それはわかりやすいです。大仕事をするために時に長年の勉強と準備が必要です。司祭になるために、少なくとも6年間が必須です。 子供は生まれるために9か月の体内が必要となります。 典礼上の大祝日も同じです。いきなりのクリスマスはありません。ゆっくりと、我々が心の堅い人間の心理とあり方を考慮して、数週間の準備を公教会が与えてくれます。クリスマスなら待降節です。 待降節という言葉の意味は、まさに救い主が降り給う大出来事を待つ節、時期です。ご降誕を待つ期間です。 待降節の数週間は我らの主、イエズス・キリストが来給う前の数千年を象徴し、思い起こさせます。 大昔の歴代族長たちは多少の信徳を持っていましたが、ミサ聖祭も典礼も他の諸秘跡もありませんでした。 我らの主、イエズス・キリストの十字架上の御死まで、人類は罪の奴隷であり、地獄の囚われ者でした。地獄に落ちるしかありませんでした。イエズスの到来以降の我々と違って、それ以前、皆、この捕虜状態から解放してくれる者を待っていました。 待降節はこの歴史を思い起こすためにあって、待降節の典礼で朗読される聖書はそれを思い起こさせます。またイエズス・キリスト以前の正しい人々の境地と待望を実感できるようにされています。 つまり、救い主が来給うことを熱望して、願望して、待つということです。 この世に我らの主がすでに来給うたのですが、毎日のご聖体拝領のおかげで、毎日、もう一度、イエズスが我々の心に来給うわけですから、聖体拝領の間は、毎回、新しい待降節であるかのようです。 また、世の終わりに生きる者と死する者を裁くために、イエズスは再臨し給います。 待降節をもって、ご降誕を準備します。そしてクリスマスでご降誕を祝います。子供をはじめ、みんな、ご降誕の大祝日を待ち焦がれていますね。ご降誕を祝って、家族でゆっくり過ごせて、プレゼントを交換して、すこしでも天の喜びの内に過ごせるような時期を待ち焦がれています。ご降誕節はご公現の大祝日まで続きます。ご公現の時、はじめて、我らの主、イエズス・キリストが全世界の前に現れて知らされます。最初はユダヤ人たちのために現れておられます。羊飼い主たちです。そして異教徒のためにも現れます。三人の博士です。 イエズスはすべての人々を救うために来給うたことを思い起こさせるわけです。 本日、新しい典礼歴は待降節で始まります。クリスマスを準備する待降節を経て、ご降誕の大祝日を祝って、ご降誕節の二週間を喜びの内に過ごして、ご公現の大祝日までです。 我らの主、イエズス・キリストがご降誕されたのは、ご受難を受け、十字架上に死に給うためでした。我々の代わりに、罪の対価を償うために、我々の贖罪を果たされるためにこの世に来給うたのです。 ご復活祭の大祝日です。 ご復活祭の準備のために、まず七旬節から紫色へ変わります。そして、四旬節がはじまります。四十日間の霊的な努力で、自分を清めるように頑張りますが、それは復活祭の準備のためにあります。 そして復活祭後、復活の喜びの内に、ご昇天の大祝日と聖霊降臨の大祝日へと続きます。 そして、聖霊降臨後節、年によって半年近く続きますが、年代順でイエズス・キリストの人生が思い起こされるのではなく、イエズス・キリストの人生の間の行い、教え、奇跡などが思い起こされます。聖霊降臨後節の色は緑色となります。なぜ緑色なのでしょうか。新春と夏の間に、冬明けになって緑となっていく大自然を思い起こさせるからです。 冬明けに大自然が復活するかのように、花が咲いていきます。つまり緑色は希望の色でもあります。天国への望徳の色です。なぜなら、聖霊降臨の後に、我々は天国を待ち焦がれている巡礼者、旅人であるからです。 聖霊降臨後の日曜日は、イエズス・キリストの教え、掟、行い、奇跡が思い起こされて、また我々が聖徳を実践するように励まれています。また、公教要理の要点は思い起こされます。天国、地獄などです。半年をかけての復習です。 ですから、通年の典礼、聖節の部の間に、クリスマスとご復活祭、ご托身とご贖罪の玄義を中心に、イエズス・キリストの人生を辿ってから、イエズス・キリストの教え、行い、掟、奇跡は思い起こされて、我々の聖徳の実践が励まれています。 さて、最後に、典礼に潜む多くの宝物を最大に活かすために我々は具体的にどうすればよいでしょうか。 簡単です。 まず、毎日のミサ典礼書を持つようにしましょう。まだお持ちではない方がいらっしゃったらぜひとも努力して持つようにしましょう。そこには宝物がいっぱいあります。カトリック信徒が持ち歩くのはプロテスタントと違って聖書ではなく、毎日のミサ典礼書です。典礼には、聖書、聖伝、公教要理の要点が収まっているからです。 毎日のミサに相応しい朗読と典礼があり、そして毎日の典礼にあずかって読んだら、信仰の重要な部分を知ることになります。ですから、毎日のミサ典礼書を持つようにしましょう。 子供のためにも持たせましょう。クリスマスの時期はそのためにいいでしょう。あるいは、初聖体拝領、堅振式の機会もあります。 愛する父母様よ、かならず子供に、毎日のミサ典礼書を持たせて、その利用の仕方を教えてあげてください。 原則はないのですが、子供から子供用の、毎日のミサ典礼書を使ってもいいですし、荘厳のご聖体拝領式の時(注・フランスでは10-12歳の時、初聖体拝領を5-6歳にしたとして、青春期になる時に合わせて、黙想会、告解を経て改めて荘厳に共同体に取り巻かれながら聖体拝領し、信仰告白など、信徒の義務を思い起こす式)、大人用の毎日のミサ典礼書を贈ることが通例でしょう。 この大人用の毎日のミサ典礼書を11歳でももらったら、一生に持ち歩く物で、一緒に死ぬような道具です。 そして、毎日のミサ典礼書を読んでいきましょう。いわゆる、ミサ中だけではなく、その前日に翌日の典礼をあらかじめ読んで黙想してから、ミサにあずかるように努力しましょう。もう5分ぐらいの準備ですし、それで、心の準備もできます。また重要な祝日あるいは典礼の流れを忘れないためによいです。それでより多くの実りがあるでしょう。また、毎日のミサ典礼書の中に、典礼の上で、それぞれの日にちょっとした解説もありますので、それらは主日のミサを準備するために非常に大切です。 そうしないと、公教会が我々に教えたい大切なことを聞き逃す恐れがあるからです。残念でしょう。 親愛なる信徒の皆様、待降節を機に、毎日のミサ典礼書の入手し、それを活かすようにしましょう。日曜日のミサに向けて準備しましょう。本当にわずかな時間だけでも、大変に多くの実りが得られます。簡単です。このわずかな努力で、少しずついろいろ変わっていき、霊魂を救うためになり、より多くの恵みを得られましょう。 聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン